2016年2月11日木曜日

20160211_Ustreamを巡る雑感

2016年2月1日にライブ動画配信サービスを展開しているUstreamのアジア法人であるUstreamAsiaが本体であるUstream, Inc.へ運営を移管されましたが、それに先立つ1月下旬に本体のUstream, Inc.がIBMに買収され、同社の傘下に収まることになった。
http://www-03.ibm.com/press/jp/ja/pressrelease/48861.wss

日本国内でUSTが広まったのは2009年頃。
ソーシャルストリームが組み込まれてTwitterやFacebookの投稿がタイムラインに反映されたことから、配信者と視聴者の距離感がそれまでのニコ動とは異なるタイプであったことから、その可能性に着目した人や企業に参入。

個人配信を中心に様々な試みがなされ、ある種実験場的な場でもあった。
しかし、2011年をピークにそれらが一気にしぼむことになる。

大きな理由としては本国だとセミナーなどを中心とした法人向けと言う感が強く、サイトの構成やUIもYouTubeなどに比べて個人ユーザーに見られる(テレビを視聴するような)ザッピング感覚で探せるようなものではなく、ハイアマチュアやプロ向けの機材を用いて配信するスタイルが多く見られることもカジュアルなスタイルで配信した側には敬遠され、後にサービスが開始されたツイキャスに逃げられた結果、個人配信者で残ったのはガチンコの配信環境か、ある種拘りを持って配信する変わり者だけとなり、それ以外は芸能プロダクションやセミナーを配信する法人ユーザーで占められていると言うのが現状となっている。

それ以外に理由は黎明期に盛り上げていた配信者の多くが、数年後には多忙で配信出来なくなったとか、配信スタッフが人事異動や退職などで配信が継続出来なくなったと言うケースも比較的多く、自身がブックマークしておいた配信チャンネルの9割はここ数年で配信された形跡が見られず、先に述べたように実験的な要素が強かったり、特定のプロジェクトのために配信であるケースも見られ、一定の目的が済むとアーカイブという残骸が残されているという感じに・・・。

それに伴い、興味を引く配信がなくなっていったというのが最大要因だろう。

そんな中でUstreamAsia末期の数年の間で行われたUstream大賞を見る限り「ここでの個人配信サービスは終わっている」としか言いようがなく、目を覆うばかりであると言う印象しか残らない。

2014年5月17日土曜日

20140517 関西三空港問題に見る決められない政治

先日、あるライブ動画配信のソーシャルストリームにおいて伊丹の存廃を巡りるちょっとしたポジショントークがあったので、熟々と書いてみることにした。

いわゆる「伊丹は便利、関空は不便」という話であるが、これは発言者の在住地による部分が大きく寄与している部分があり、その視点から発言しているからに過ぎません。

在阪のマスメディア等でよく出るこの類いは主に伊丹があることに寄る恩恵を受けている人達の視点しかなく、それ以外の地域からの視点は完全に無視されていたりします。
悪い言い方をすれば地域エゴと表現される・・・。

この関西三空港問題はいわゆる環境問題を発している部分と伊丹存廃を巡る地域エゴと政治的なモノが絡み合った歴史の産物とも言えるわけですが、結局その議論自体が地元ではタブー化されたまま、今度は神戸沖に空港が出来てしまうという状況になってしまいました。

その長らく続いた状況に大阪府知事となった当時の橋下氏(本記事執筆時は大阪市長)が、このタブーを打ち破って「三空港問題の議論」をすることを打ち上げることになります。
当然、伊丹の存在によって恩恵を受けている側からは強い反発を受けることになったが、公共のモノと言うよりは「俺たちのための空港」的な視点に見えてしまうのはある種困ってしまうモノがあります。

この問題にしても本来デメリットを受容させてある種の覚悟を決めさせるのも政治の役目でありますが、それを放棄している時点で「決められない政治」だなと残念に思っている次第です。

2014年4月6日日曜日

20140406 三陸鉄道の全面復旧への雑感

東日本大震災により被災しその後区間ごとに復旧を進めてきた三陸鉄道がこのほど全線復旧されます。

地元の願いが叶った感があるかも知れませんが、内陸側を三陸自動車道の工事も進められてこれらが順次開業して行くことから実際には安泰というわけでは有りません。

BRTで復旧と言う暫定的な形と称して事実上の直営バスへの転換を進めたJR東日本に比べて、三陸鉄道の復旧の経緯はどう控えめに見ても冷徹な判断によるものではなく感情的であったという感が否めないわけです。
そのため、個人的には三陸鉄道を全線復旧させること自体に賛同することが出来ませんでした。

いまは感情的にも熱せられているのでそれが分からなくても、それが冷めた数十年後に後悔しているかも知れません。

2014年3月2日日曜日

都市内交通の一元化による成功と失敗

市営交通に代表される大阪市の公共交通施策は都市内交通の一元化と言う意味では成功を収めた。

当時は各私鉄とも競争が激しく次々路線が計画されたものも含めて乱立する恐れがあったため、それらを統制するべく実施されたのが都市内交通の一元化であったわけです。

広域輸送を国鉄、郊外および都市間交通を私設の都市鉄道・郊外鉄道、都市内交通を市などの公営交通というレイヤーに分けることを前提とした都市内交通の一元化は公共交通網の乱立を防ぎ、独占化によるサービスと鉄道とバスとの乗継ぎの便宜を図るなど、特に大阪市においては一定の評価がなされるなど成果を収めました。

しかし一元化に拘り過ぎとことが、後に郊外鉄道とバスとの連携を阻むことになっていきます。
鉄道では都心への乗り入れが近鉄・京阪によって実現されたものの、東西および南北を貫く路線は市営地下鉄の整備を優先されたためJR東西線開業までなく、その後も九条の一部住民反対運動などで当初計画から数十年も遅れた阪神なんば線のみで、構想段階で留まっているなにわ筋線※2はようやく整備に向ける方向であることが示されたばかりというのが実情です。

これは大阪よりも人口規模も遥かに大きく、比較的早い段階で既存事業者の独占された事により出遅れた結果、一元化が叶わなかった東京都特別区※3とは対照的な結果にとなっていますが、周辺環境や財政的な条件で大きく異なっていたことが影響しているようです。

このことから、都市交通の一元化に拘った大阪市の公共交通施策が全ての面において素晴らしいとと言うわけではなく、負の側面もあると言う事実があると言うことを知っておいた方だ良いかもしれません。

~注釈~
※1:鉄道事業に関しては阪急など旧摂津国側から流入する路線は梅田で留まったが、市電の遅延が深刻化した頃に認可を得ていた近鉄難波線や京阪本線は都心乗り入れを果たしている。
※2:南海汐見橋およびJR難波(旧湊町)から新大阪を結ぶ構想で都市内鉄道を通じて郊外鉄道路線の乗入れさせる他、西九条の平面交差と福島の踏切問題に加えて線路容量が厳しくなっていた大阪環状線に対するガス抜きという狙いがあり、橋下氏がよく言っている関空アクセスの向上というのは本来の目的ではない。
※3:東京都の場合一元化するには資金が足りないと言う側面があった。

2014年2月24日月曜日

オーソドックス過ぎて失敗したのでは?

当方の地元である東大阪市に拠点を置く大阪バスが運行する「高松特急ニュースター号」が2014年2月1日をもって当面の間運休されることとなった。

高松特急ニュースター号は2013年春に天王寺・JR大阪~高松駅を結ぶ高速バスとして開設されたのですが、この大阪~高松間は競合他社が参入している区間で、JR・私鉄系の「大阪~高松線」とフットバス系の「たんなんフットバス号」が競合する路線で両者とも最盛期過ぎて近年は若干減便となり消耗戦が始まりかけているところへの新規参入。
そのため、開業当初から利用率が低迷、週末および連休限りの運行に縮小され、後に屋島への延伸とパークアンドライドといったてこ入れがされたが焼け石に水だったようで、2014年2月1日をもって当面運休という事実上免許維持路線化されたというのが現在に至る。

主な要因は・・・

・着地側となる高松側には大阪バスの子会社が無いのに加え協力事業者が得なかった(あるいは得られない)状況での単独運行であった
・そのため自社以外の発券窓口がネット系やコンビニ端末と限られていた
・ハード面でもソフト面でも競合他社との差別化が出来なかった
・事実上路線バス事業者としては新参者である大阪バスグループの知名度が管轄エリア外において一般的な認知度が低かった

以上のことが大きく足を引っ張った要因とも言る。

さて、大阪バスがどのような事業者か知らない人が多いと思われるので概略を紹介する。

京都府福知山市を拠点とする建設業者である前田工業のグループ会社である前田観光自動車が2002年に大阪市平野区にあった西鉄系の大阪西鉄観光バスの解散に合わせて資産を買収して設立、それと同時に本社と車庫を現在の東大阪市西部へ移転したのが始まりで、2007年には旧クリスタル観光を買収・子会社化し関西以東での主要都市圏に子会社を置くところまで事業拡大され、2011年春から高速路線バス事業に参入。

子会社の北海道バスは札幌~函館という既存事業者がいる区間へ協力事業者としてではなく競合他社として「函館特急ニュースター号」で参入したのに対し、本体の大阪バスは高速バス空白地域である東大阪市の布施と京都を直通で結ぶというニッチなルートで参入。
京都特急ニュースター号」と名乗った京都便は知名度の低さもあって当初こそ苦戦するが、東大阪市西部から京都へのアクセスルートとして認知されだしてからは観光の行き帰りに合致する時間帯で比較的高い乗車率がとれるようになり、東大阪市を含む中河内地区に路線網を持つ近鉄バスがJR久宝寺・近鉄八尾と京都を結ぶ「八尾・京都特急線

2012年春に名古屋便「名古屋特急ニュースター号」を昼行便として、2012年夏には東京便「東京特急ニュースター号」を夜行便として設定、いずれもJR大阪駅桜橋口付近に新設された停留所を経由されることになり、名古屋便は開業からしばらく苦戦を強いられ減便や特定日運行で一時縮小されたが、東京便は程なく定着し満席になることが多い週末およびハイシーズンを中心に増車と増便されるようになった。

2013年には高知便の「高知特急ニュースター号」と本題の高松便「高松特急ニュースター号」が開設、2013年冬には空港アクセスバスの空白地域であった中河内地区に関空リムジンバス「関西空港~東大阪線」を近鉄バス・南海バス・関西空港交通との4社協同運行による新規開設するまでにこぎ着けるなった。

順調だったのは設定された多くが大都市圏を結ぶ路線であり潜在的需要が比較的大きかったことと、そして着地エリア内に子会社があったと言う側面が大きく、四国エリアへの路線は苦戦。
辛うじて残されている高知便も昼行便が廃止され夜行便は週末を中心に運行されているのみ。

その四国エリアの一つである高松便での運休がネットのみで告知されただけで現地の停留所には周知されておらず、当日無予約で利用を試みた人がTwitterに書き込んだことで一気に炎上する騒ぎとなった。

事の顛末は本人のブログに記されている→http://blog.ken-show.net/?eid=898605

この騒ぎとなった数日前から予約サイトでは満席と表示されることがあったそうだ。
そしてその騒動から数日後、無期限運休が公式発表されている。

このことから想像するに、本当は予約状況が芳しくなく梃子入れするも上手くいかず、このまま運行してもジリ貧になるだけであった。
先の要因でも書いたように着地側の協力事業者が得られなず、結論としては運行の継続を断念するしかなかった。
その決断に至る前の段での問い合わせがあったことが予想外だったのか?そこでの対応がグダグダになった。

結論からすると大阪バスグループは四国へ事業拡大の足がかりを作るのに失敗したと言うことではないのか?

既存事業者が参入済みでしかもパイの食い合い化されているエリアへの単独参入となると差別化が図られない限りダメとも言える。
実際に観光バス系事業社でも高速路線バスではソフト・ハード面の差別化を図るのに腐心しているのに対し、大阪バスの参入スタイルはソフト・ハード面において極めてオーソドックス過ぎなかった。

だからこそ失敗したのではないかと思ったのだ。

2014年2月22日土曜日

大阪都構想が頓挫して喜ぶのは?


大阪都構想が区割り案を巡る対立により頓挫している。
大阪市長である橋下氏は事態の打開のため出直し選挙に打って出たわけですが・・・。

個人的には都構想自体は賛成と言うスタンスなので、今の状況はあまり良い気分ではありませんね。
実は都構想を実現するためには2015年春までに具体的なものを提示しておく必要があるのですが、法定協議会でそのための制度設計の作業段階で維新の会とその他政党で対立→頓挫してしまっているために、それ自体が出来ていない(要は出せない)というのて実情のようです。

明確に言えば、維新の会以外は「現状維持」のために出来るだけ先送りして都構想を潰しておきたいと言うのが本音でしょう。
自民党も都合の良い軽い神輿と思って担ぎ上げた橋下氏が次第に重荷に感じてきたので、次なる軽い神輿を探したいのが本音でしょう。

本来ならもっと早い段階でやっておくべきところを自らの議席を守るという政治的な理由によって先送りしてきた問題を橋下氏が尻ぬぐいしているようにしか見えないわけです。

何故これを言ったのかというと、数年前に関西ローカルの番組(やしきたかじん氏の冠番組)にゲスト出演した橋下氏が2008年の大阪府知事選に立候補したかと聞かれた際、その一つに「地方自治体がどういったものなのか見てみたかった」と言い、実際に知事になって感じたのは「ここまで酷かったのか」と言ったのを覚えていたためです。

仮に都構想が実現されて住民側で深刻レベルになるほど困ると言うことは少なく、むしろ都構想実現で困るのは地元の地方議員や職員など切られる側に立つ確率が高い人だったりします。
彼らは自分たちの居場所と食い口の確保のため必死であることには間違いなさそうです。

#2014.2.22 20:05 追記

大阪都構想の流れを解説する記事を見つけてきました。
以下の記事を読む限りでは、橋下氏にはこれしか手段がなかったとも言えます。

・橋下氏「出直し市長選」で大阪都構想は進むの?
(THE PAGE ~ 早稲田塾講師 坂東太郎のよくわかる時事用語)
http://thepage.jp/detail/20140220-00000005-wordleaf

2014年2月21日金曜日

新型車両投入の今後を占う大阪環状線の社会実験

この記事を投稿したある間にも大阪環状線における朝ラッシュ時のオール3ドア化の社会実験が実施中であり、当日はその最終日となっている。

この社会実験は2014年2月7日にJR西日本から公式に発表されている。

・JR西日本の公式リリース
http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/02/page_5142.html
・詳細PDF
http://www.westjr.co.jp/press/article/items/140207_00_osaka.pdf

実施期間は2014年2月17日~21日の平日5日間
対象列車は以下の通り
・2014年2月17日~18日
 大阪駅 7:46~8:11発の外回り
(8本中の3ドア車4本+4ドア車4本→3ドア車8本)
・2014年2月19日~20日
 大阪駅 8:00~8:28発の外回り
(9本中の3ドア車2本+4ドア車7本→3ドア車9本)
・2月21日
 大阪駅 7:51~8:05発の外回り
(5本中の4ドア車1本+3ドア車4本→3ドア車5本)
 大阪駅 7:57~8:11発の内回り
(5本中の4ドア車3本+3ドア車2本→3ドア車5本)

今回の実験は今後導入が予定されている新型車両の仕様もさることながら、ホームドア導入に関する仕様決定まで影響を与えるほどの重要な位置づけとされているものと思われます。

10年前ならこのようなことをせずに4ドアロング車両が導入されるのですが、2005年4月の脱線事故以降に実施されたゆとりダイヤの導入や少子高齢化の影響による沿線の労働者人口減少、首都圏への本社機能移転による社会環境の変化によって利用者数が減少、さらに将来的にも微減はあるものの劇的な増加は見込めないことが理由の一つと思われます。

また、2000年代後半から大和路線と阪和線からの3ドアクロス車の乗り入れが拡大され始め、2010年代以降は耐用年数に達する103系が勢力を減らすのに代わり3ドアクロス車の朝ラッシュ時乗り入れの本数が改正ごとに拡大され、実際に深刻な件数およびレベルの苦情が見られなかったと言うこともこの実験が実施された背景にあると思われます。
(※:この場合における指標の一つとして在阪マスメディアが日常的に取り上げられる程のレベルであるかと言うことですが、実際にニュースとして取り上げられたと言う事実は聞かない)

先の4日間についてニュースサイトやSNSを見る限りでは大きな混乱はなかったようなので、ここのまあ今後導入される通勤車両は3ドア車に統一される公算が高いと思われますが、その場合105系0番台や313系2000番代グループみたいにオールロングシートになるのかな?と言うのを想像してみたりします。