2014年3月2日日曜日

都市内交通の一元化による成功と失敗

市営交通に代表される大阪市の公共交通施策は都市内交通の一元化と言う意味では成功を収めた。

当時は各私鉄とも競争が激しく次々路線が計画されたものも含めて乱立する恐れがあったため、それらを統制するべく実施されたのが都市内交通の一元化であったわけです。

広域輸送を国鉄、郊外および都市間交通を私設の都市鉄道・郊外鉄道、都市内交通を市などの公営交通というレイヤーに分けることを前提とした都市内交通の一元化は公共交通網の乱立を防ぎ、独占化によるサービスと鉄道とバスとの乗継ぎの便宜を図るなど、特に大阪市においては一定の評価がなされるなど成果を収めました。

しかし一元化に拘り過ぎとことが、後に郊外鉄道とバスとの連携を阻むことになっていきます。
鉄道では都心への乗り入れが近鉄・京阪によって実現されたものの、東西および南北を貫く路線は市営地下鉄の整備を優先されたためJR東西線開業までなく、その後も九条の一部住民反対運動などで当初計画から数十年も遅れた阪神なんば線のみで、構想段階で留まっているなにわ筋線※2はようやく整備に向ける方向であることが示されたばかりというのが実情です。

これは大阪よりも人口規模も遥かに大きく、比較的早い段階で既存事業者の独占された事により出遅れた結果、一元化が叶わなかった東京都特別区※3とは対照的な結果にとなっていますが、周辺環境や財政的な条件で大きく異なっていたことが影響しているようです。

このことから、都市交通の一元化に拘った大阪市の公共交通施策が全ての面において素晴らしいとと言うわけではなく、負の側面もあると言う事実があると言うことを知っておいた方だ良いかもしれません。

~注釈~
※1:鉄道事業に関しては阪急など旧摂津国側から流入する路線は梅田で留まったが、市電の遅延が深刻化した頃に認可を得ていた近鉄難波線や京阪本線は都心乗り入れを果たしている。
※2:南海汐見橋およびJR難波(旧湊町)から新大阪を結ぶ構想で都市内鉄道を通じて郊外鉄道路線の乗入れさせる他、西九条の平面交差と福島の踏切問題に加えて線路容量が厳しくなっていた大阪環状線に対するガス抜きという狙いがあり、橋下氏がよく言っている関空アクセスの向上というのは本来の目的ではない。
※3:東京都の場合一元化するには資金が足りないと言う側面があった。

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